No More 育児!〜母親失格者の本音〜

0歳2歳の息子2人、働く母親失格者の本音。母親像に理想がある方は気分を害すので見ないでください!

寝ない息子へのイライラを違う視点で考えてみる

時刻は22時半。
なかなか寝ない息子にしびれを切らし、寝たフリ作戦に入った頃、キッチンからガサゴソと物音がしたので嫌な予感がするなと思いつつ目を開けると、彼はゴミ箱の蓋とネバネバの納豆の空の容器をこちらへ持ってきた。私は叫ぶ。なんでそんなもの持ってくるの!?そして息子からひったくり、元の場所に戻す。

そしてまた寝たフリ作戦へ。
彼は今度は私にまとわりつき、なんとか起こそうとする。ぐずってみたり、絵本をねだってみたり、私の背中に回ったかと思いきや顔を覗いてきたりする。やかましい。そして、今度は置いてあったシュシュを渡してきた。それは私がいつも使っているものだ。良く、見てるなぁ。

彼はいつの頃からか、携帯電話が置いてあると渡してくれる。眼鏡があればかけてくれようとする。それはいつも私が身につけているもの。だからきっと良かれと思ってそうしてるのだ。ほんと良く見ている。

そうなんだよね。今はまだ寝たくないし、でも寂しいから私に構ってほしいだけなんだ。ゴミ箱の蓋だって、悪いことをしてる自覚なんてきっとなかった。もしかしたら彼は私に何かすごいものを発見したんだよと報告しにきたのかもしれない。ゴミ箱開けたらネバネバのなんかすごいのがあったよ!見て見て!って。
それを、大人の感覚で頭ごなしに怒った。私。

寝てくれない=私が困る=息子が私を困らせようとしてる。
きっとこんな方程式が出来上がってた。
だからゴミ箱のことだって、息子は私を困らせるためにわざと悪いと分かってることをしてるんだと咄嗟に思い込んだ。

でもそうなの?
それは大人の価値観じゃないの?
彼は寝ないことが悪いことだなんて思ってないし、私を困らせようとしてるわけじゃない。
ゴミ箱の中は汚くてゴミを漁ることが悪いことだなんて思ってないし、むしろ彼にとってはおもちゃ箱のようなものなのかもしれない。

私の寝たふり作戦、つまりとことん無視作戦が功を奏して、私にくっつくようにしていつの間にか寝息を立てている可愛い寝顔を見て、寂しい思いをさせながら寝させちゃったなと少しの罪悪感と愛しい気持ちが綯い交ぜになる夜なのでした。

他人の子と上の子と下の子

 

散々自分の子を可愛いと思えないと言っている私ですが、それでも変化がありました。
それは、街ですれ違う他人の子を見ると可愛いと思うようになったこと。しかも自分の子より小さい子限定!

やはり一度経験したことは心に余裕が生まれ、そう思えるんでしょうかね。そして懐古的な感情もきっとそこにはあるのでしょう。過ぎ去りし日の、毎日必死だった自分を懐かしみつつ。街中でおばさんが息子に話しかけて可愛がってくれる理由がほんとよくわかります。そう、だから二人目はきっと生まれた瞬間から可愛いに違いない!と期待しています。

いろんなママさんに聞くと、やはり可愛いのは下の子っていうし。とはいえ、けど、と付け足されます。けど、一番思い入れがあるのは上の子だと。

そうかもしれない…。
悩んで悩んで、手探りで模索して、辛いとか驚きとか嬉しいとか、究極の感情が伴うのは上の子。下の子は一度通過した道なので、手なりで育ててるといっても過言ではない。

最近息子が、置いてある眼鏡や携帯をとって渡してくるの。いつも私が眼鏡かけて携帯見てるから。そして私が眼鏡をかけると嬉しそうにするし、わざとおでこにあてるとニヤって笑って鼻の上に戻してくれる。

オムツを持ってくるから交換してほしいのかな?と思って交換してあげると、そのまるめたオムツをゴミ箱に捨ててくれるの。

そういうの、いちいちなんか発見だし驚きだし感動なんだよね。
他人が聞いたらだから何?ってきっとおもうことだから、旦那にしか共有できない喜び。

宇宙人だったのがペットみたいな知能を持ち始め、どんどん人間になっていく。

いつの間に理解してるんだろう。
よく見てるな〜って感心させられる。

この前初めて子供の運動会に行きました。
泣いてる子もいる大勢の群れの中で、マイペースに土いじりしてる息子。
私を見つけて走り寄ってくる息子。
2歳組のマットに乱入する息子。

やっぱり目線は息子に釘付けだし、息子が作った旗を発見しては写真撮っちゃうし、当たり前だけどやっぱり特別なんだなーと実感するのでした。

やっぱりね、育児は大変だし出産もこりごりだしうんざりすることもたくさんあるしまだまだ愛しくて仕方ないっていう領域にはいけてないけど、子供を産んだことは絶対に後悔しないなって思います。

 

息子が可愛く思える方法

息子、一歳半。
新生児の頃のような恐怖感はなくなりました。が、目に入れても痛くないほど可愛いか?と聞かれたら、まだ、面倒だな…の方が先に来る。
できれば二人きりでいるのは1日2時間でいい。
てか、可愛がりたいけど世話はしたくない。これかも!

朝支度をしながら軽く遊んで、そして仕事。夜帰ってきて寝顔見て、眠る。
週末は家族で出かけて遊ぶ。オムツ替え、食事、あやし、などの世話はしたくない。

なにを図々しいこと言ってんだって思った?思いました?
でもよく考えてこれ、当たり前のように享受してる人がいるんです。そう、私が望んでるのはパパポジションだったのです!

育児のいいとこどりだよな〜。たまのぐずりも広い心で対応できちゃよね。エンドレス絵本読んで攻撃も可愛いと思っちゃうよね。部屋汚されても片付けるのは自分じゃないもんね。元気だなぁって笑って見守れますよね。

もうね、一歳児のお世話してると、そんな余裕なくなります。
というか、我が家は多分かーなーり、育てにくい部類に入るんじゃないかと思う。何しろ要求が多く意志が強く堪え性がなくギャン泣き王子ですから。。

でも、今は旦那と息子が溺れてたらどっちを助けるかと聞かれたら、息子と即答できるようになった。やはり失ったらとても悲しいんだと思う。かけがえのない存在とまではまだ自覚できないけど、世話をするのがしんどいんであって余裕がないんであって、もしもパパポジションになれて心に余裕があったらやはり可愛いと思うんと思うんです。この子の笑顔、性格、色んな要素が私の人生に関わる一人の人間として私の中に存在していて、大変だけどその分楽しいことも沢山ある。

8歳の子供を持つ、私と同じ、いやそれ以上にドライなママがいます。彼女はまさにパパポジションで、育児はほぼ旦那。抱っこ紐なんてしたことないし、普通の抱っこも殆どしてない。母乳は早々に却下。当然子供は1人。もう二度と産みたくないと。
そんな彼女がSNSで、最近は家族と仕事帰りに合流するのが唯一の楽しみ、と書いていて、驚くと同時に、私も数年後にはそうなってるのかなぁ、だといいなぁ、それは楽しみだなぁと思うのでした。

三歳すぎるとコブ付き感がなくなって、息子とのデートが楽しくなるよ!と言っていた友人もいるし、まだ私は切っても切れないコブを抱えてる感じだけど、息子が一人の男の子、人間として成長するとともに、私たちの関係もそう変わっていくのかなぁと、希望がキラッキラと見えてくるのです。

また熱…

保育園は、37.5度だとお休みさせないといけません。朝計測して37.3度とかだと、旦那は休ませたがります。結局お昼には呼び出しがくるからね。

けど、それでも!朝からお昼までのわずかな時間、一人の時間が作れるなら、早々に迎えに行くことなんて屁でもないの。

でも旦那は送り担当だから、面倒なので休ませちゃえって思うんだろうな〜なんて邪推。私が復職したらそんな簡単に休ませられないんだからね!見てろよ!と思いつつ、復職まであとわずかなので、ぐっと心にしまうのでした。そしたら、会議あるし無理!とはねのけてやる!

それにしても、月二回くらいのペースで高熱を出す息子。入院二回。これ、ほんとすぐ復職にしなくてよかったと思うレベル。一度熱出したら一晩じゃすまないからね。最低3日は休まないといけない。これ、復職してたら無理ゲーでしょ。職場で子供が熱だからって休めていいなー負担が私に〜と思ってる独身同僚ってたくさんいるんだと思うけど、あのね、具合悪い子供といる方がしんどいのよ。むしろ、仕事してる方が楽。なんとしても保育園にいかせたい、のに、同僚からはそんな目で見られる。なかなかワーママって辛いよね。核家族で旦那が非協力だったらまさに四面楚歌。そりゃ、ママ達で一致団結して助け合おう!なんていう意識高い系ママが色んな団体作っちゃうかもね。

さて、ダメ元で保育園連れて行きました。もしも息子がぐったりしてたらそりゃ休ませるけど、元気はつらつオロナミンC!だからね(古い?)むしろ家にずっといる息子は退屈でわめきだすし、保育園の方が本人のためでもある。なにか感染系のウイルス持ってるならそりゃ休ませるけど、ただの風邪でちょっとお熱が高いくらいなら勘弁してほしいものです。

あーそう思っちゃうあたり、また叩かれそうですね

二人目以降は代理出産したいわ

一人目のマタニティライフは、楽しかった。
何もかもが初めてで、未知への期待と不安がいりまじって、初めての我が子という存在への対面にワクワクワクワク。

旦那もこれ以上ないってくらい労わってくれて、育休というかなりぶりの仕事ではない生活へ。

毛深くなったり、脇が黒ずんだり、シミが濃くなったり、体の変化に驚きつつも発見の喜びもあったり…。

そして産前休暇に入ると、つかの間の専業主婦ライフを楽しもうと毎日旦那にお弁当作ったり、たまにはお弁当にハートのイタズラしてじゃれあったり、最後だからと素敵なレストランへ行ったり。ラブラブルンルンだった。

楽しかったなぁ。(遠い目)

けど二人目はというと…
正直、憂鬱…。

どんなの子が生まれるんだろうという期待はあるけど、もうそのプロセスはいらない。
さっさと十月十日たってほしい。
なんなら生まれててほしい。
てか代理母制度が可能ならお金払ってでもお願いしたいくらい。


また、呼吸が苦しかったり肋が痛かったり、あんなに苦しいおもいして、さらにそこに息子がいるからゆっくり休めるはずもなく、産後は髪質が衰え薄毛が目立ち、顔はシミだらけ、全体的に肉もつく。前回は大丈夫だったけど少し脂肪がついた今は妊娠線だってできちゃうかもしれない。
確実に、老けるし、ボロボロになる。ほんとにね、妊娠出産て、自分のあらゆるものを犠牲にしてるんです。悪魔が寿命と引き換えに願い叶えるってあるじゃん。まさにあれレベルの引き換えなんですよ。しかも見えないレベルでは、エネルギーを分けるから、運気もさがるんだとか。

てかさ、世界のママさんは、こんっなに犠牲払ってたの?ってことに驚いた。
驚いたとともに、男という生き物に怒りすら湧いてきた。
男からしたら俺ら産めないんだから仕方ないじゃんってことかもしれない。ああそうさ、しかたないさ、人類がこの世に誕生した瞬間から与えられた神様が決めた役割だ。
だけどさ、だったらさ、もっと女敬えっての。何もできないあんたら男は、むしろ女を支えるために存在してるといっても過言ではない。金稼げー。育児手伝えー。家事もやれー。飲み会?趣味?は?ふざけんな。そんなレベルです。
なのに実際は、世界では女性は迫害されてきてる歴史だし、まだ一部の国では男尊女卑が根強く残ってます。これは、あまりにも偉大な女性を恐れて、男性が力づくでそういう社会を作り出してきたと言われてますよね。

先進国日本だって、いまだに妊娠中の浮気とか、育児の不参加、そして子供と遊んでてお前は毎日いいな、俺は働いてるんだ!と偉ぶる。

いやいやいや、女性の社会進出が遅れてた昔ならそう騙せたかもしれないけど、ずっと男性と肩を並べて、男性と同レベルに稼いできた私が断言します。

育児より、仕事の方が100倍楽だから!!!

さらにそんなことで威張れちゃうなんて、どっちか選べるなら私は働く方を選ぶからどうぞ産んで育てて欲しい。産むの無理なら専業主夫してほしいわ。子供の頃は男の子は一生働かなきゃいけなくて大変って思ってたけど、とんでもないぞ、幼かった私よ。

まぁ、つまりは、妊娠出産はかなりヘビー。
二人目を悩んだのもそこ。
またあんなに肉体的精神的にボロボロになるのかぁと。
一人目のときのようにぽわーんとしてられず、経験済みだけに覚悟が必要だったわけです。周りに二人目を渋る子が多いけど、よぅくわかりますよ。

でも前回書いたように、国民の義務として二人は産まなきゃいけないのではないだろうか、兄弟はいたほうがいいのではないだろうか、などなどの理由から悩んでて、でも時間は過ぎていきタイムリミットがあることなので悠長に悩んでもられず、何もしないでタイムリミット迎えるより一度はチャレンジしてみるか!できないならできないで納得できるし!ということで試してみたら即自然妊娠。不妊外来の先生もびっくり。

そして、産んでしまえば、もう悩まなくていい。そして何よりもう二度と産まなくていい!という悩みからの解放が唯一の救い。

やはり二人目産むかも…と思ってるとおしゃれも楽しくないんです。どうせこれ以上に衰えるし…、ダイエットしてもまた太るし…なんて。
だから二人目産んだら、全力でダイエットして、美容にも気をつけて、整体で骨盤調整してガードルつけて、なんとか見た目だけでも戻したい。そうしたら少しは気持ちが晴れるんじゃなかろうか。そしてやはり、働きたい。専業主婦はボサボサ髪にデニムパーカって当たり前になっちゃうし、女として張り合いがなくなる。

そして何より、うちの旦那はかなりイクメンなので、それがなければ絶対に二人目考えなかったと思う。私は本当にラッキーだとつくづく思う。

 

二人目妊娠報告

あろうことか、二人目妊娠しました。

ええ、もちろん作ったんですよ。
でもたったの1度きり。

もう育児はこりごり!こんなのが2人もいるなんて死んじゃう!って思ってたけど、人口を考えたら二人はノルマ的な感覚があり、産めるのに産まないって選択したらいつか後悔するときがくるんじゃないの?っていう義務的?な感覚もあり、あとは、「二人いる方が絶対楽!兄妹で遊んでくれるから手が離れるよ!」という友人の確信に満ちた意見と、おとなしくぽーっとした女の子を育ててるママが羨ましくて「二人目はなぜか大人しいんだよね」という言葉にかけてみようと思ったから。

一人目がやんちゃだから可愛いという気持ちよりも、大変、面倒って意識の方が強いのではないかと思ったので、大人しい子ならこんな私でも心から愛しいと思えるのではないかという希望。

あとあと!一人目が旦那そっくりなので、二人目は私に似てくれるのでは…という期待も。つまりこの子は、一人目の時よりもおーきな期待をすでに背負ってるわけです。私にそっくりなぼーっとしてる大人しい女の子を限定で歓迎!状態なわけです。まったく自分勝手な母親です。

とはいえ、これでできなければそういう運命だな。と思ってました。不妊外来にも一応行きましたが、そこで検査しましょうと言われたときに、そこまでするモチベーションがないことにも気づいたんです。頑張って二人目作ろうという気にはなれない!と。なので、たったの1回できてくれたこの子は、本当に我が家に来たかったんだなと、そういう運命だったんだなーとか思っちゃいました。たぶんお空の上から旦那のことを見て、こんなパパが欲しい!って来たんだろうなと。きっと私のことは可もなく不可もなく、虐待もネグレクトもしないし過保護でもないしまぁいっか、くらいのテンションだったことでしょう。(笑)
でもね君、それ多分正解だよ。だってちっちゃいけど都心の清潔な戸建てに住めて、経済的にもそこそこ安定してるし、旅行好きな両親でとりあえず仲は良くて、放任主義の適当な母親に、たくさんの愛情を注いでくれる面倒見の良い素晴らしい父親がいますからね。

私が生まれた家なんかより何倍も何十倍も幸せな環境であることは確実だと思うわけです。婚外子で両親不仲で貧乏で抵当に入れられたからまた引越しなんて話を小学生の頃から聞いてて、しかも引越し業者使うなんて大人になるまで知らなかったような毎月給食費を母の指示のもと父に貰いに行くような生活だったからね!!!

平和な分、何も考えず芯のない子にはなってほしくないけど、それは生まれ持っての本人の資質なんだろうな。

さて、というわけで今回も成育医療センターに予約してきました。他の産院を経験してみたい気もするけど、何より成育が本当に安心でよかったから。

これからイヤイヤ期の息子を世話しつつ、マタニティライフはかなり不安ですが、がんばりますか。

母親におしつける聖母マリア神話

勝手にそう名付けちゃってますが、どういう意味かっていうと、

「母親は自己犠牲を伴う無償の愛で子供を愛すべき。」

という、聖母マリアのような存在であることを社会は強要してるように思えるんです。

母親になったら、四六時中常に子供のそばにいないとダメ。すぐ保育園なんて可哀想。離れたいなんて思っちゃ失格。自分の全てを犠牲にしてでも愛すべきでそれができないのは母親失格。どんなに泣いても自分の子なら寝ずに毎晩あやし続けられるものでしょ?夜飲みに行きたい?ありえない!子供をなんだと思ってる!という風に。

私のように、可愛いと思えないなんて言ったものならバッシングの嵐。
「だったら子供産まなきゃいいのに」なんて言われたって、そりゃ生涯愛せないと産む前にわかってたら産みませんよ。子供に殺された親たちは、そんな自分の未来がわかってたら産んでないでしょう。けどその人たちはむしろ子供が養ってくれる未来を想像してたかもしれないし、私だって今こんなでも三年後には愛せるようになってるかもしれないし、未来のことはわからないよね?それなのに「今」という一点だけの、しかも妊娠出産育児で疲れ切ってる時にポロリと出たぼやきを取り上げて大非難するこの空気感。ほんっときらい。

しかもなぜか、それを言うのがたいてい女じゃないですか?

同じプロセスを体験し苦しんできたよね?気持ちわかるよね?
それとも生まれた瞬間から可愛くて仕方なくて、どんなに喚こうが暴れようが許せちゃう心の広いできたお人なんでしょうか。でもそんなできた人だったらわざわざ他人のこと批難しないよね?
もしくはよっぽど育てやすいお子さんを持ったのでしょう。それか、すでにお子さんは大きくて過去の辛さを忘れてしまったのでしょうか。ほんと、不思議。

いやむしろ、自分がその無言の抑圧に耐えてきたのだから、あんたも耐えなさいよ、という女性特有の横並びになりなさいよ感情論な気がしないでもない。私はそんなこと言わずに黙って耐えてきたのに!きぃー!みたいな。だって私の周りの理性的な人達は、絶対そんな批判しないもん。

中にはナチュラルに育児や専業主婦を楽しんでる生まれ持っての母親向きな人もいるみたいだけど、私の育児真っ最中の友人に本音を聞くとやっぱり大変だという方が多い。でもそれは、先に私が本音を言わないと言ってくれない。つまりそれくらい世の中的には憚られる発言ってことなんだと思う。あと育児の先輩は、過去を振り返って懐かしそうに、そうそう大変だったわぁと笑って言う。ほんと人間ってうまくできてるよね。ああ、早くそんな悟りを開ける境地に達したい…。

とにもかくにも、世の中の母親を苦しめることの一つに、世の中からの無言のプレッシャー、聖母マリア像の押しつけ、があるような気がする。

いやそういう私もね、産む前は自分の子供ってものにピンとこなくて、どれくらい愛せるかとか未知数で、でも、産まれたら母性ってものがにょきにょきぐんぐん生えてきて、それこそ聖母マリアのような愛が身体中からすんごい溢れてきて、ああっ、愛しくて仕方ない!ってなると思ってたのよ。彼氏のことでさえこんなに愛しくて仕方ないんだから、自分の子供だったらどんなにか豊潤な愛が溢れてきて幸福なんだろう、と思った時もある。

でも現実は違った。
私は聖母マリアになんてなれなかった。お腹の中で十月十日育て、頑張って産んだのに一歩たりとも近づけなかった。母性なんて欠片も見当たらなかった。むしろ自分はなんて自己中で傲慢な人間なんだろうと嘆いたりもした。結局大切なのは自分なのか?と。

でも今思う。そりゃ、自分が大切だろ。自分を大切にできなきゃ誰も大切にできない。そのうえで、子供を愛し育てるのだ。そういった意味で、心身ともに回復して手が離れる4歳くらいから、子供への愛情が違った形に、それこそ聖母マリアに半歩くらい近づけるのではないか?と期待している。それに、そもそも容易に近づけないからこそ、聖母マリアがあれだけ崇められてるのだろう。

私の子供の頃は、泣き声を聞いた覚えがない、と父に言われるくらい大人しい女の子だった。転んでも泣かずに一人で立ち上がっていた。人に頼れないのは生まれ持った性格だったんだなぁ。そしてそんな性格ゆえに、お遊戯会で聖母マリアの役をやった。理由は、ただ黙ってそこに座ってればいいから私にもできる、という理由。そんな私が、中身も聖母マリアに近づけるのは、もしかしたら臨終の瞬間なのかもしれない。