No More 育児!〜母親失格者の本音〜

0歳2歳の息子2人、働く母親失格者の本音。母親像に理想がある方は気分を害すので見ないでください!

反面教師の同性兄弟から学んだ正直に生きることとは

 

私には姉がいる。
そして同性の兄弟姉妹は反面教師にもなる。
だから同じ両親から生まれ同じ環境で育った同じ性別なのに、性格が全く違うということが起きるんだと思ってる。
下は冷静に客観的に上を見て、嫌だと思ったことを是正しようとするからだ。

私の姉の場合は、やけに愛想を振りまくところが嫌だった。他人に必要以上に気を使い、作り笑顔をし、わざとらしいほど大きく相槌をし、大してよくしてくれるわけでもない親せきの輪の中に入り、好かれようと必死な姉を、媚びてると思ってものすごい嫌悪感を感じた。

だから私は、自分が楽しくないのに笑うということはしなかった。気を使うことが返って相手に気を使わせるんだから、気づかせないべきだと思った。社交的ではなかったし、一人でいることが多かった。友達ができないならそれも良しとした。媚びてまで欲しいと思わなかった。

それは私の基礎的な価値観となった。
自分に嘘はつきたくない。正直にありたいと。それが潔く美しい生き様だと思っていた。

だから、これを言ったら嫌われるな、変な奴だと思われるな、ということでも、正直な自分のままでいた。
相手に合わせたり、良く見せようと思ってもない綺麗事は言わなかった。

大丈夫?って、心配してもないくせに簡単に言う同級生を軽蔑した。大丈夫なんて言葉で言うことは簡単だ。だから私は大丈夫?って言わなかったけど、保健室に走って氷水や治療の道具などを取りに行って渡した。これが本当の優しさだと思ってた。

だから化粧も嫌いだった。ストレートパーマをかけたり、分厚いメイクをしたり、全てが偽りの象徴に見えた。私はほとんど化粧をせずに大人になった。

会社でも、仕事中に周りとぺちゃくちゃ話してる同僚に、いやいややることやれよ働けよって思ってた。無駄なコミュニケーションはとらない。私は確実に結果を出す、と思って、仏頂面で仕事してた。近づけないオーラを出してた。

でも今ではわかる。言葉だけだった口先だけの人も確かにいたかもしれない。けど、大丈夫?って心配されることで、相手の心は軽くなるってことを。身だしなみをきちんと美しくすることは私の安っぽい価値観を貫き通すより簡単に印象を良くすることを。コミュニケーションは仕事を円滑にしそこで作られた人脈は人生の財産になるということを。

取り繕うのが嫌いだった私は、自分の見せ方に、生き方にことごとく失敗してきたんだって、今ならわかる。
正直に生きることと、社会に適合するよう生きやすく振る舞うことは全く別だ。
今ならわかる。わかってるつもりだった。けど結局わかってなかった。長年の自分の価値観は変えられない。私は又しても同じ過ちを犯してしまったのだ。
どうしても人によく思われようと取り繕う自分に嫌悪感を感じる。複雑な家庭で育ったが、姉はそのいっさいを旦那には話してないと言う。私は繕わずに夫には話した。貧乏だったこと、借金取りに追われて引っ越しばかりだったこと、両親離婚のこと、駄目男と言える全ての要素を持つ父親のこと、精神病の兄のこと、まだ実家のローンが残ってること、姉が大嫌いだって軽蔑してること、学費を自分ではらってきたこと、などなど。

けど話す必要はなかったのかもしれない。世界は偏見に満ちている。そんな育ちだから、とか、色々言われるだけだ。子供のこともそう。そして正直にドロドロした胸の内を話す時の表情はきっと見るに耐えない醜いものだっただろう。


ここに書いたのは、改めての決意。
自分を良く見せよう。努力しよう。がんばろう。それは悪いことじゃない。自分に正直に生きることと、生きやすくすることは全く違うのだ。もしもそんな自分さえも理解してもらいたい、受け入れてもらいたい、という甘えがあるのなら一切捨てること。そんな幻想、自分の親にしか通用しないのだから。

そして今は思う。姉の社交性は我ら家族には必要なものだったと。
下は上を反面教師にしたが、もしかしたら上は上なりに、下に足りないものを上としての責任感から補おうとしてたのかもしれない。