No More 育児!〜母親失格者の本音〜

0歳2歳の息子2人、働く母親失格者の本音。母親像に理想がある方は気分を害すので見ないでください!

愛情格差の原因を考える

どうしてこんなにも、兄弟への愛情格差が生まれるんだろうと分析を試みたことがある。

単に、
1.二人目育児の余裕なのか、
2.長男はとにかく泣きわめく子で、次男は大人しいからか
3.長男の方が容姿的に恵まれてなく、次男の方が目が大きいからか、
4.長男は私に全く似てないけど、次男は似てるからか、

1以外はもう人間的に欠陥があるとしか思えない理由。
2は自分にとって都合が良い子だからってだけだし、3は容姿で贔屓かよ!最低だなって感じだし、4は自己愛の塊やんけって感じだし。

長男を産んだとき、可愛いと思えないのは、私は母性がなくて、育児に向いてないからだと思ってた。けど、次男を産んでそうじゃないとわかった。
だからこの答えは、三人目を産んでみないと結論なんて出ないんだろうなと思う。三人目を産んでももしかしたら選択肢が狭まるだけで本当の答えには行き着かないかもしれない。2はもしかしたら、息子たちが思春期になった時、長男が優等生になって次男がグレたりした時にわかるのかも。そんなことになって欲しくはないけど。

3は、目が小さい長男が成長して長身塩顔男子の坂口健太郎みたいになったりしたら、わかるのかも。それは嬉しい(笑)

まぁ、考えても仕方ない。
とにかくわかるのは、子供には罪はないってこと。兄弟を平等に育てなければならない。健やかな子に育って欲しいから。

自己肯定感の低さがもたらすもの

私は三人兄弟の真ん中で、しかも次女で、弟がいる。

つまり、生まれてきた時に最も喜ばれなかった存在だ。

自分が子供を2人産んで、親の気持ちがよくわかるようになり、自分が今の自分に至った理由に気付いた。

 

そもそも共働き家庭ということもあり、思いっきり放任されて育ってきた。

私の記憶の中に、親に褒められた記憶というのがほぼない。ていうかない。覚えてないだけかもしれないけれど。

でも、保育園の先生に器用だねって褒められたことがめちゃくちゃ嬉しくてその瞬間のことを今でも覚えてるくらいだから、多分私は本当に褒められたことのない子だったんだろうと思う。幼い私は、たった一度言われたその言葉だけを頼りに、自分を支えてきた。

 

だからか、私は自己肯定感がものすごく低いということに最近気づいた。

私はどこにいても、誰といても、そこに必要であるとは思っていない。いつ失踪したって、いきなり死んだって、その時はみんな驚くし一週間くらいは話題に上るだろうけれど、すぐにみんな忘れる、それくらいの軽い存在であると思っているところがある。

 

だから部活や会社などの組織にいても、わたしはいつも端っこにいる。目立つことに戸惑いを覚える。4人以上の飲み会では殆ど話すことはない。基本聞き役に徹する。私が話すことなんてみんな興味ないし、他の誰かが話した方が断然その場が盛り上がると思うからだ。

出産した時にも、わざわざ職場な同僚全体に報告メールなんてしない。私が子供を産もうが、それがどんな顔の子なのかなんて、誰も興味がないと思うから。注目を浴びることに、申し訳ない気持ちになるのだ。

 

なので、家族にとっても、子供にとっても自分が重要な存在であるという気がしない。

子供がママママと駆け寄ってくることを不思議に思うことすらある。

なんでそんなに私のことが好きなの?

私はただそこにいるだけの存在なのに。

一方で、でも、きっと、私がいなくなってもこの子たちは大丈夫。そんな気がしてる。

夫に対してもそうだ。私がいなくなっても、その時は悲しむだろうけれど、でも、きっとそれだけだ。

 

だけど、自分の子にはそんな風になってほしくない。

自己肯定感の低さは、持っている可能性の1/10も発揮されない。やる前に、無理だろうというのばかりが頭をよぎる。フリーランスになるにしても、元同僚に対して営業することなんて出来ない。こんな私に仕事を依頼してくれる人なんているのかなって思っちゃう。

留学先のルームメイト達の輪に入っていくことができないから英語も上達しない。自己肯定感の低さは、前に行こうとする私の足をことごとく重くする。

 

自己肯定感の低さは、大人になってから改善することは非常に難しい。それが自分の考え方の基礎になってしまっている。なおしたくてもなおせない。いつも同じところをもがいているだけだ。

息子たちには、こんな思いをさせたくない。

 

男の子はむしろ、根拠のない自信があるくらいがちょうどいい。自信は男の魅力になる。器以上の力を発揮する。自分を信じられない人がそれ以上になるわけがない。

自分の居場所が欲しくて欲しくて、なのに一歩が踏み出せないこのジレンマを味わわせたくない。だから褒める。たくさん褒めてあげようと思う。親が与える影響はやっぱり大きい。

 

 

 

 

 

 

 

 

私を母親にしてくれた

まだ長男しかいない頃、次男が生まれる前。

私は母性がないだとか、育児を通して自分が如何に自己中な人間であったかをまざまざと思わせられた、と書いたことがある。

私はずっと暖かい家庭に憧れを持っていて、親子がテーマの映画で見るような、可愛い子供と手を繋いで歩く幸せな自分をイメージしていた。繋いだ小さな手が愛しくて愛しくて、ママぁー!って笑顔で駆け寄ってくる子供を抱きしめる時に世界の全ての幸せを凝縮したような気持ちを想像していた。

 

私は愛されるよりも愛することの方が幸せだと思っている。愛されるということは、その相手から愛を貰い続ける限りは満たされるが、それは相手次第ともいえる。けれど自分が愛する時には、自分の中からどんどんどんどん愛が溢れ出てくるのだから、常に満ち足りた状態である。なので、まさに無償の愛の対象となる我が子がいたら、私は愛の製造マシーンとなって、それこそ毎日が愛で満たされて幸せなんだと思っていた。

 

なのに、現実は違った。

ママぁ〜!とまとわりついてくるのがもううざったくてうざったくて。手を繋ぎながら歩いてても車や歩行者に気をつけつつ、途中で公園やアンパンマンなどを見つけてそこで遊びたいとぐずり出さないように別の方向へ気を引きながら楽しいふりをして目的地へと時計を気にしつつ急ぐ。そんなことばかり。抱っこ!抱っこ!とせがまれるのも、あーあ、ここで、抱っこしないとギャン泣きだからやるしかねーな、整体予約しなきゃ、と思いながら巨大児を抱っこ。一番平和な時は、アニメに集中してくれてる間だけ。それも怖いシーンになると、こわいー消してーとぐずってきて終了。

 

ぶっちゃけ、生まれた瞬間から、あまり可愛いと思えなかった。赤ちゃんなんて単なる異星人で、むしろ部屋に2人でいるのが怖くて旦那の帰りが待ち遠しすぎて駅まで迎えに行ったりした。

泣き止まない長男をベランダから放り投げたい衝動に駆られ、ニュースで見るあの人と私は紙一重なんだと思った。

癒されるとか、可愛くて仕方ないとか、私には全くわからなかった。泣き声は私を責める声にしか聞こえなかったし、2人でいるのが苦痛で苦痛で、早く復職したいと思った。

託児に預けるのが可哀想とか思わなかったから予約が取れればガンガン預けたし、母乳あげることに軽く嫌悪感もあったから早々に完ミにした。

 

私には母性がないんだと思った。

私は何てひどい人間なんだろうと思った。

 

なのに、

 

次男を生んで変わった。

 

初めて、赤ちゃんてなんて可愛いんだって思った。

ずっと一緒にいても苦痛じゃないし、可愛くて可愛くて。

何でこうも違うのかわからない。

ただ、泣いてばかりで殆ど昼寝もしなかった長男とは違い、次男は機嫌良く起きてるし、寝ぐずっても抱っこせずとも1人で寝てくれるし、しかもまとまって寝てくれた。

 

手遊びしてもあまり反応がなかった長男に比べ、次男はよく笑った。私を見るとそれだけでにっこり笑い、手遊びをするとケタケタと笑った。

 

長男が大変なのは男の子だからだ、と性別のせいにしてた。だから次は女の子が欲しい!と思っていて、また男の子だとわかった時には落ち込んだ。けど、今はこの次男以外は考えられない。

 

そして、周りのママ友が言っていたことがやっとわかるようになってきた。

もっと一緒にいたいから仕事辞めるだとか、

寝顔見てるだけで癒されるだとか、

可愛くて可愛くてたまらないっていう、そういうの。

やっと、母親の感情がわかるようになったなって。そういう意味で、長男は私を母親という立場にしてくれて、次男は私を母親の感情を与えてくれたなって。

長男に対してとてもひどいことを言ってるのはわかってるけど、でもそれが包み隠さない本音なのです。

 

 

言うことを聞かない子ほど大成する??

長男は良くぐずる、とにかくぐずる、そして言うことも聞かない。

 

夕食で「みんなで席について、一緒にいただきますしよう、お椅子座って」と言っても、絶対に座らない。断固として座らない。なのにまとわりついてきて、「あっち!おいで」と、冷蔵庫の方へ連れてこうとする。なのでそれを拒否すると途端にぐずる。いやいやいや、論点ずらさないでくれる?そもそもいま夕食だから座れって話が、なんで冷蔵庫までついてきてくれない私が悪いみたいになってんの?

 

そして、長男はめげない。

長男「あっち!」

私「今はみんなでご飯だよ」

長男「あっち!」

私「あっちはいただきますしてから行こうね」

長男「あっちぃ!」

私「まずはお椅子に座ってくれるかな?」

長男「あっち!」

私「わかったわかった。順番にやっていこう。まずは座っていただきます。そしたらすぐにあっち行こう」

長男「あっち!!!」

 

そう、まっっったく会話になってない。

まだ語彙も少なくてカタコトの拙い言葉遣いだとしても、彼は理解をしている。なのに、「あれ?まだ私の言ってることわかんないのかな?」と錯覚させるほどの一方通行。とにかく自分の主張しかしなくて、約束させるだとか、話してきかせるとか、そんなの全く通用しません。自分の主張が通るまで主張し続けます。つえぇぇ…。

こっちもイライラしてくるし、呆れるし、もう無視したくなる。

 

よくママさんが集う相談サイトで「うちの子は話せばわかりますよ?育て方が良くないんじゃないですか?」とか上から目線で言ってる人がいるけど、子供の個体差がめちゃくちゃあって、あんたんとこの子はたまたま聞き分けの良い育てやすい子だってだけなんだよ、あんたがラッキーなだけなんだよ、神様に感謝こそすれ他人を上から目線で裁くなよって言いたいわけです。まぢでうちの息子を育ててみろって思いますね。

 

そういえば、保育園の連絡帳に、保育士さんからの息子への愚痴が何日か続いた時がありました。みんなと行動するのが嫌で1人だけプールに入りませんでした、とか、散歩から帰ろうとすると泣き出して説得するのに時間がかかりました、とか。それをみて、あーやっぱりうちの子は他の子よりもわがままなのかなぁって思いますね。

 

よく、親の言うことを聞かない子ほど大成するとかいうらしいけど、手を焼いてる親に対する一時しのぎの慰めの言葉だよね、絶対。

 

長男がぐずればぐずるほど、傍でニコニコしてる次男が愛しくなるのでした。兄弟関係に悪影響になるから、あまり贔屓はしたくないし出さないようにとは思うんだけど、長男で疲弊して次男で癒されるって構図になってます。

 

来年から次男も保育園だけど、長男の時は一刻も早く預けたかったのに、次男はまだ預けたくないーって思っちゃうくらいだもんね。

たまにはちゃんとまとめてみようかとはじめてみます。

もう長い間、それこそインターネットが普及し始めた頃からそれを仕事とし、かなり早いタイミングで触れているにもかかわらず、仕事以外で活用することは少なかった。


既に2人目の育休中なので、キリが良いとは言えないタイミングだけれど、かといってこの先も始めるタイミングなんてないので今から過去の振り返りも含めてやってみようかと。


面倒くさがりの私が続くかなぁ?

二人目妊婦の過酷さ

初めての妊娠の時、両親や義両親は、体を冷やすなほれ座布団敷きなさいこれ着てろだの、階段降りるときは夫が必ず手を差し伸べてくれたりだの、重いものを持たないのは当たり前だし、椅子があれば座れるし、とにかく大事にされてる感パナいんです。

 

早めの産休もらって、昼間は行ってみたかったパンケーキ屋さん制覇したり、ぶらり映画見たり、子供服見たり、専業主婦の友達に会いに行ったり、とにかく、とにかく幸せなんです!!!

 

あぁ〜頭が溶けていくかも…って思うくらい、幸せで平和。それは、私が健康な妊婦だったからというのもありますが。

 

けど、二人目ともなると、環境は全く違います!そして、周りももう重いものを持つな座っててとか言わないし階段だろうがなんだろうが夫の手は差し出されません。

 

だって、そんなこと言ってられないんだもの!!!

 

一人目の子供の世話が、要求が、とにかくノンストップで押し寄せてくる。お腹大きかろうが抱っこはせがまれるし、しなけりゃギャン泣きだし、なんなら14キロの2歳児抱っこしながら肩にカバンかけて階段上り下りしますよ。かなりの頻度で!家事は夫に任せられるとしても、子供の世話も全部はキャパオーバーだからやらざるを得ない、というか息子からくるしね!だったら私が家事をやるから、息子の世話を夫にお願いしたいくらい、息子は容赦ない。一緒に散歩なんて絶対嫌!だって走るの追いかけられないし途中で抱っこせがまれるし、無理無理無理無理!!!

それでも保育園があるからほんとに助けられた。外遊びは保育園でやってきてくれる。お迎えの時に(ベビーカーは拒否されるので)家までの道のりをなんとか乗り越えれば。それでもそれさえもきつくて、最後はシッター使ってました。てか専業主婦の方は、ほんとすごい。一日中この怪獣に付き合うわけでしょ?大きなお腹で。妊婦だと、とにかく頑張るしかないっていう根性論通用しなくない?だって現実に、お腹は張って痛いし、破水リスクもある。最悪な場合は胎盤剥離よ!?

 

いやぁ、一人目妊婦の時が、一番幸せだって、今気づいたよあたしゃ。。。二人目妊婦がまさかこんなに過酷だとは。母がいれば、まだ良かったのかもしれないけど、頼る人がいない核家族は辛い。

 

そして案の定、一人目の時よりもめちゃくちゃ張りが強くて、予定日よりかなり早くの破水。今思えばもっと家事なんて放棄して寝てりゃよかったんだけど、夫だけ働かせてそれはなんか申し訳なかったんだよね。振り返れば短い限定された期間なんだから甘えればよかったのに。。

 

三人目妊婦になんてなったらどうなっちゃうの?その頃は長男が成長してるから、むしろ手伝ってくれるようになってるのかな?

 

我が家の場合は2歳差ということもあっただろうけど、聞いてなかったよこんなに過酷とは!というマタニティライフを無事に終えて、本当に良かった。と今なら思えます。

 

そのときは、早く生まれると色々面倒なことになるというのでなるべく予定日に生まれてきてほしかったから、破水したときはかなり憂鬱だったんだけどね。またその話は今度。

幼子のいる風景

 

猫っ毛の息子の髪が、寝癖で鳥の巣のようになっている。それを見て、夫と笑い、櫛で梳かしてあげる。

見慣れぬものに目がない息子は、案の定それ寄越せと主張してくるので、おもちゃにされても問題ないなと瞬時に考えてから渡すと、自分の髪を梳かし始め、嬉しそうにこちらを見た。

それを見て、夫と2人で目を合わせて歓声をあげる私たち。まだ何もわかってなかったような息子が、ここ最近色んなものを理解し、真似している様子に成長を感じ、感動しているのだ。

飲み終わった哺乳瓶を背伸びし流しに置いたり、マグを机の上に置いたり、丸まったオムツをゴミ箱にポイと捨てに行ったり、絵本を本棚に戻したり、脱いだ靴下を靴の中に丸めて入れたり。全部、ぜんぶ私たちの真似をしている。本当によく見ている。

寒くなってきた最近は、暖かいのは嬉しいということを覚えたようで、最初はいぶかしんで外していた手袋を、つけてくれと催促するようになったり、毛布なんて敷き物でしかなかったのが、ちゃんと自分で体の上にかけるようになった。

他人から見たら、なぜそんなことに感動するのかわからないだろう。だってどれも至って普通のことだもの。
でも、息子の成長を共に間近で見ている私たちは、息子の行動の同じことに驚き、同じことに感動し、同じことに可愛いと思っている。いちいち説明なんてしなくても、すごい!と同じタイミングで感動できるのだ。そんな相手は世界に夫ただ1人しかいない。

子供の存在は、私に想像以上の幸福を運び込んでくれた。もちろん、育児ノイローゼ間近になったり、もう疲れてやんなっちゃうことなんてたくさんある。でも確実に幸福感を感じる瞬間がここにはある。それは、今まで経験したことがない種類のもの。他のどんな経験からも得られない種類のもの。息子を生まなければ一生知らずに終わったものだ。

 


キッチンで野菜を切っていると、その向こうのリビングで遊ぶ息子と旦 夫が見える。笑うと糸のように細くなる目をこちらに向けて、息子が覚えたばかりの言葉「まっまぁー!」と私を呼ぶ。

この風景を絵に書いたら、間違いなく「幸せ」というタイトルを私はつけるだろう。
幼子のいる風景はまるで幸せそのものだ。その小さな存在は、邪気がなく、小賢しさもなく、汚れがなく、満面の笑みと100%の愛を周りに振りまく。それに触れて私たちの中からも一切の毒気が抜けて、穏やかな優しい気持ちになる。

未来には希望と楽しみしかなくて、私はいま人生で最も幸せだなと嚙みしめるのだ。

将来、うるせぇばばぁと言われるかもしれない。介護したくないと顔も見せにきてくれなくなるかもしれない。
けれどももしかしたら一生ひとり、または子供がいない生活になっていてもおかしくなかつたことを考えると、今のこんな数年間を私の人生に与えてくれたってだけで、それだけでいいやって思えるのです。