No More 育児!〜母親失格者の本音〜

0歳2歳の息子2人、働く母親失格者の本音。母親像に理想がある方は気分を害すので見ないでください!

幼子のいる風景

 

猫っ毛の息子の髪が、寝癖で鳥の巣のようになっている。それを見て、夫と笑い、櫛で梳かしてあげる。

見慣れぬものに目がない息子は、案の定それ寄越せと主張してくるので、おもちゃにされても問題ないなと瞬時に考えてから渡すと、自分の髪を梳かし始め、嬉しそうにこちらを見た。

それを見て、夫と2人で目を合わせて歓声をあげる私たち。まだ何もわかってなかったような息子が、ここ最近色んなものを理解し、真似している様子に成長を感じ、感動しているのだ。

飲み終わった哺乳瓶を背伸びし流しに置いたり、マグを机の上に置いたり、丸まったオムツをゴミ箱にポイと捨てに行ったり、絵本を本棚に戻したり、脱いだ靴下を靴の中に丸めて入れたり。全部、ぜんぶ私たちの真似をしている。本当によく見ている。

寒くなってきた最近は、暖かいのは嬉しいということを覚えたようで、最初はいぶかしんで外していた手袋を、つけてくれと催促するようになったり、毛布なんて敷き物でしかなかったのが、ちゃんと自分で体の上にかけるようになった。

他人から見たら、なぜそんなことに感動するのかわからないだろう。だってどれも至って普通のことだもの。
でも、息子の成長を共に間近で見ている私たちは、息子の行動の同じことに驚き、同じことに感動し、同じことに可愛いと思っている。いちいち説明なんてしなくても、すごい!と同じタイミングで感動できるのだ。そんな相手は世界に夫ただ1人しかいない。

子供の存在は、私に想像以上の幸福を運び込んでくれた。もちろん、育児ノイローゼ間近になったり、もう疲れてやんなっちゃうことなんてたくさんある。でも確実に幸福感を感じる瞬間がここにはある。それは、今まで経験したことがない種類のもの。他のどんな経験からも得られない種類のもの。息子を生まなければ一生知らずに終わったものだ。

 


キッチンで野菜を切っていると、その向こうのリビングで遊ぶ息子と旦 夫が見える。笑うと糸のように細くなる目をこちらに向けて、息子が覚えたばかりの言葉「まっまぁー!」と私を呼ぶ。

この風景を絵に書いたら、間違いなく「幸せ」というタイトルを私はつけるだろう。
幼子のいる風景はまるで幸せそのものだ。その小さな存在は、邪気がなく、小賢しさもなく、汚れがなく、満面の笑みと100%の愛を周りに振りまく。それに触れて私たちの中からも一切の毒気が抜けて、穏やかな優しい気持ちになる。

未来には希望と楽しみしかなくて、私はいま人生で最も幸せだなと嚙みしめるのだ。

将来、うるせぇばばぁと言われるかもしれない。介護したくないと顔も見せにきてくれなくなるかもしれない。
けれどももしかしたら一生ひとり、または子供がいない生活になっていてもおかしくなかつたことを考えると、今のこんな数年間を私の人生に与えてくれたってだけで、それだけでいいやって思えるのです。