No More 育児!〜母親失格者の本音〜

0歳2歳の息子2人、働く母親失格者の本音。母親像に理想がある方は気分を害すので見ないでください!

やっぱり、他人に子供を愛せないなんて告白しちゃいけない

今でも思い出す。
「私、子供があんまり可愛いと思えないんだよね。育児向いてないわ」と言った時の、同僚の顔。空気。

彼女は仕事で一緒になったばかりであまり親しいわけでもなく、結婚していて子供が欲しいと望んでいる30歳くらいの子だった。

私は自分に嘘をつきたくなくて、でもそれを赤裸々に話すことは鬼畜扱いされることもわかってるので、ひどいことでも吐き出せる場としてブログを書きはじめた。

それでも可愛くないものを可愛いって嘘がつけなくて、表面上の予定調和な会話も好まなかったし、あまり深刻でないようにぽろっと、「それがさぁ、あんまり可愛いって思えないんだよねー、私育児向いてないみたい!(笑)」って話したりする。そう言うこともあるよねって思うから。

けど今ではわかる。
もう育休に入り、彼女とは一切の連絡を取ってないけど、きっと今頃子供を愛せない私を非情な人間だと社内で噂してることだろう。

子供が愛せないなんて、よほどの親友でない限り言っちゃいけない、というか、言っても良いことなんて何もないんだ。みんな想定外の返事すぎて反応に困るし、この人おかしいのかもって思うだろうから。実際に私でさえ、自分は何か欠陥があるのではと思ったくらいだし。いや多分実際に利己的で合理主義な冷酷人間であることは間違いないんだろうけど。

でもあの時の私は、それが本当に悩みだったから、小出しにして受け入れられたかったのかもしれない。相談に乗って欲しかったのかもしれない。けどそんなの、何も心が通い合ってないしかも子を望む赤の他人に言うべきじゃなかった。

けど一方で、独身でもう子供は無理そうな年齢に差しかかろうとしてる友人に話したときの反応は逆だった。彼女は私の話を納得し、だよね、だったら養子でもいいよねって、自分の考えの裏付けをとれたように嬉しそうに頷いていた。彼女は結婚は諦めてないけど出産は諦めていて、養子を貰えばいいと考えているようだったけど、女友達からはことごとく否定されていたようだった。

私は上の子を産んで、愛情と血の繋がりは関係ないと知った。
一緒に過ごす時間こそが愛情を育むのであり、そしてそれでも子供との相性があること。
だからかつての養子に批判的だった考えは無くなった。
むしろ、養子斡旋の団体でも立ち上げようかと思ったくらいだ。養子を愛せないと悩んでる人に、それはみんな母親なら感じる育児の大変さです。血の繋がりは関係ありませんと力説できると思った。ニュースで逮捕されていく姿を見せる母親の心情も考えるようになり、母親なのにひどいとむやみに批判しなくなった。そうやって世の中のマイノリティな存在をマジョリティと一緒に批判する事柄が一つ減ったわけだ。

 

だから良かったのか?
でもやはりそうは思わない。
やはり、子供を愛せるということは、幸せなことだと思うからだ。
とはいえこんな自分でしかいられないのだから、そのことを受け入れ、葛藤するしかないと思う。
そしてそれは自分の心のうちに留めること。

人によく思われようと取り繕う人間が嫌いだったけど、かといって、正直に自分の黒いところを見せてきて得したことなんてない。やはり、もう少し取り繕って生きるべきだったなと思う今日この頃なのです。気付くのはもう何もかも遅いけど。

弱かったりずるかったりダメだったりする自分も受け入れて欲しい、受け入れてもらえるんじゃないかって、きっとどこかで期待してたんだろうね。でもそんなの幻想。他人は他人でしかない。そんなことわかってるはずだったのに、気を抜けばまた、この人ならって期待してしまう自分がいる。何度絶望しても、何度肩透かしを食らっても、どうして受け入れられることを夢見てしまうんだろう。ばかだなぁ。