No More 育児!〜母親失格者の本音〜

0歳2歳の息子2人、働く母親失格者の本音。母親像に理想がある方は気分を害すので見ないでください!

兄弟の中で自分だけ愛されない子供の視点

よくドラマでさ、兄弟の中で自分だけ母親に愛されず虐められてる子供の話があったりするよね。
前は、それ見てひどいなぁと思ってた。
子供を贔屓するなんて理解できない!どの子も我が子だろ!だったら産むな!せめて養子に出せ!と。

でもいまはなんとなく想像しちゃうんです。
そのドラマは、虐められてる子供目線で描かれてるからわからないけど、たぶん、兄弟の中でいちばん泣き止まなかったり要求が多かったり言うこと聞かなかったりと手を焼かせてたんじゃないかなって。そして母親は育児ノイローゼに近い状態になってしまった。

けどドラマは子供目線だからそんなこと描かれず、ただひたすら可哀想で、身に覚えもないのになぜか贔屓されて、悲しい思いをしてる不遇な子、なんですよね。そう、うちの長男もきっとそう。私からしたら、なんでそんなことするの!?なんでもっとお利口さんにしてくれないの!?イライラ!なんですけど、それで冷たくされたところで、長男には理由がわからないんですよね。そしてただひたすら健気。そんな思いをさせたくないので、今日も感情を抑えて無理矢理笑顔を向けるんです。でも、イライラマックスだと、それができない時もままある。

今日もね。ぐずったり、わがままいったり、下の子の沐浴に乱入して遊び出したり、寝かしつけ邪魔したり、水遊びしてキッチンびしゃびしゃにしたり、ほんっとイライライラして、かなり冷たく当たった。下の子を寝かしつけてる部屋に入ってきたときは、あっちいってと冷たくいったけど、もぞもぞして、牛乳のみたいと言う。仕方ないから寝かしつけは中断せざるを得ない。

わかってる。私にこんなに冷たくされても、息子はめげずに健気に私に甘えてくる。ママ、ママって必要としてくる。それはまだ2歳だから。もう少し大きくなったら母子の間にぎこちなさが生まれ、息子の心に消えない傷と、決定的な溝を作ってしまうだろう。私はそれに甘えている。息子がめげずに私を好きでいることをわかってる。まだ悔恨を残す年齢じゃないことをわかってる。だから冷たくできる。

リビングにいくと、コップにはまだたっぷりと牛乳が残っていた。息子は、牛乳が飲みたかったんじゃない。息子なりに邪険にされてることを察して、理由を作ったんだ。

沐浴も弟のお世話を一緒にしたかっただけだし、一人リビングに残されて寂しいから寝室にきたんだ。弟の寝かしつけの苦労なんて知らない。沐浴の手順なんて知らない。彼は彼なりの精一杯で接してきただけで、誰も母親に迷惑をかけようとしてるわけじゃない。いくら私が怒っても、彼はなぜ母親が不機嫌なのか理解できないだろう。

弟と比べるとつい大人扱いをしてしまうけど、まだ2歳。されど2歳なのだ。

女の子が死ぬほど欲しかった

世の中には、女の子を欲しがる母親の方が多く、そしてそんな母親を批判する風潮があるようですね。子を選ぶなんて親になる資格ない、って。

 

なぜ女の子を欲しがるという人が多くなるかというと、男の子を産んだ人は次は女の子を欲しがり、女の子を産んだ人は次もどっちでもいいやーとなるんだとか。

 

それわかる。
それくらい、男の子って大変だし、そして女としては理解できないもの。

だから私も二人目は女の子がどうしても欲しかった!二人目を妊娠したときは、性別がわかるのを楽しみにしていた。

そして、男の子だとわかったときは、しばらく落ち込んだ。ものすごく落ち込んだ。涙すら流したほどに。
そこでも、自分に正直に、なんて思っていた私は、お腹の子が可哀想だと批判されるのをわかった上で、残念だったという気持ちを言葉にした。もういらないとまで思った。憂鬱で仕方なかった。息子と同じような怪獣が二人って、どうなるの?と。産むのやめようかともチラリ考えた。けど一度出産を経験してるので、そのことの重みわをわかってたからできるわけなかった。だったら養子に出そうか?とまで考えた。もうマタニティライフに楽しみなんてなかったし、出産が待ち遠しくもなかった。なんならもっとこの中にいてくれていいよくらいに思ってた。葉酸も飲まなくなってたし、食べ物に気も使わずコーヒーなんて普通に飲んでたし、骨盤ベルトも冷え取りもしなかったしマタニティフォトも撮る気なし、直前まで深夜までもガンガン働いてた。元気な胎動感じては、また息子と同じ厄介なのが出てくるのかと思った。育てやすい良い子になると聞いてやったことも、安産になると聞いてやったことも、何も意味なかったことを実感したから。やや投げやりな、そんなマタニティライフ。

我が家は子供は二人と夫が決めていたので、私が娘を持つことはもう永遠にない。その悲しさから自分を慰める言葉や、納得させる言葉などを色々考え、女の子を神様がよこさなかった理由を自分なりに腹落ちさせた。そもそも私がなぜそこまでして女の子が欲しいのかを考えるところに立ち返った。まだ独身の頃から可愛い女の子の子供服を買いあさり、着納めた振袖をクリーニングに出しながら、娘の成人式で着てもらおうと思い、生まれたらベビーリングを買ってプレゼントしたいなとショーケースを眺め、将来は一緒に旅行して、孫の面倒も見て…と、私は女の子へ夢を持ちすぎてた。私が母と仲良いからか、同じものを想像してた。きっと引っ込み思案な大人しい可愛らしい子で、可愛い服着せて、美しく成長して、聡明で、大きくなったら一緒にお茶したりランチしたり、恋愛話聞いて、ウエディングドレス一緒に選んで、孫の面倒で頼られて。。私の中での娘像が膨れ上がり、そのままの期待を押し付けるところだったんだ。もし想像と違うやんちゃな女の子だったら、私は息子以上に受け入れられなかったかもしれない。

反して息子に対しては、夢も希望も何もなかった。きっとそれは兄がダメ人間に育ったことから起因してるのかもしれない。だから息子にはなんの期待も押し付けないし、成人して飛び立ったらそれっきりだろうし、嫁とうまくいく自信もないし、孫と触れ合う機会は少ないだろう。私は私の第二の人生楽しまなきゃっていう結構あっさりした感情だ。むしろそれくらいあっさりしてる方が、子供にとってはいいだろう。
神様は見ていて、苦しめられる娘を作り出さないために、そして、不幸だった子供の頃からやっと幸せになり、何も不安がない私に、次の試練を与えるために、男二人を授けたんだ、と理解した。

 

そして、いよいよ予定日が近づき、骨盤ベルトをしてなかったせいかやけに張りがちだったけど、ついに破水からの出産。
私は本当に憂鬱だった。それは予定より早く出てきたため、上の子の保育園退園リスクを伴ったからだ。ああ、この子も私を苦しめるのか、くらいに思った。

けれど、経産婦だからと軽い陣痛の段階で麻酔を入れてくれ、さらに全開になるとするっと15分ほどで出てきた。会陰切開もひどくなかった。産後の肥立ちが前回と比べ物にならないほど早かった。ベッドから起き上がれるし、歩けた。後陣痛はあったけど、それ以外は快調で、あれだけ情緒不安定で早く帰りたかった入院生活も、今回は楽しかった。

そしてもっと驚いたのが、なんて、赤ちゃんが可愛いこと!!!
もうほんとにほんとに可愛くて、可愛くて、長男の時は母子同室が嫌すぎて新生児室たどうにかして預けられないかと思ってたし、ほんと辛くて泣いたこともあったけど、今回は母子同室どんとこい!全く一緒にいるのが苦痛じゃないんだ。これが、二人目育児の余裕ってやつ?それともこの子が大人しいの?

そして私はいまや、男の子でよかったとすら思ってる。というか、女の子だったらこの次男はいなくなってたと思うと、そんなの嫌だ!本当に本当に可愛くて愛しい。ずっと見てて飽きないってのもはじめてわかった。長男のときは、抱こうとしない私を懸念してか、ベッドに長男を置かれて嫌な気持ちになったものだが、今はベッドに置いて添い寝してたら助産師さんに怒られるという(笑)

次男が可愛いと思うたびに心が満たされ浄化されていく感覚になる一方で、可愛いと思うたびに心のどこかで、長男への罪悪感が生まれていた。

反面教師の同性兄弟から学んだ正直に生きることとは

 

私には姉がいる。
そして同性の兄弟姉妹は反面教師にもなる。
だから同じ両親から生まれ同じ環境で育った同じ性別なのに、性格が全く違うということが起きるんだと思ってる。
下は冷静に客観的に上を見て、嫌だと思ったことを是正しようとするからだ。

私の姉の場合は、やけに愛想を振りまくところが嫌だった。他人に必要以上に気を使い、作り笑顔をし、わざとらしいほど大きく相槌をし、大してよくしてくれるわけでもない親せきの輪の中に入り、好かれようと必死な姉を、媚びてると思ってものすごい嫌悪感を感じた。

だから私は、自分が楽しくないのに笑うということはしなかった。気を使うことが返って相手に気を使わせるんだから、気づかせないべきだと思った。社交的ではなかったし、一人でいることが多かった。友達ができないならそれも良しとした。媚びてまで欲しいと思わなかった。

それは私の基礎的な価値観となった。
自分に嘘はつきたくない。正直にありたいと。それが潔く美しい生き様だと思っていた。

だから、これを言ったら嫌われるな、変な奴だと思われるな、ということでも、正直な自分のままでいた。
相手に合わせたり、良く見せようと思ってもない綺麗事は言わなかった。

大丈夫?って、心配してもないくせに簡単に言う同級生を軽蔑した。大丈夫なんて言葉で言うことは簡単だ。だから私は大丈夫?って言わなかったけど、保健室に走って氷水や治療の道具などを取りに行って渡した。これが本当の優しさだと思ってた。

だから化粧も嫌いだった。ストレートパーマをかけたり、分厚いメイクをしたり、全てが偽りの象徴に見えた。私はほとんど化粧をせずに大人になった。

会社でも、仕事中に周りとぺちゃくちゃ話してる同僚に、いやいややることやれよ働けよって思ってた。無駄なコミュニケーションはとらない。私は確実に結果を出す、と思って、仏頂面で仕事してた。近づけないオーラを出してた。

でも今ではわかる。言葉だけだった口先だけの人も確かにいたかもしれない。けど、大丈夫?って心配されることで、相手の心は軽くなるってことを。身だしなみをきちんと美しくすることは私の安っぽい価値観を貫き通すより簡単に印象を良くすることを。コミュニケーションは仕事を円滑にしそこで作られた人脈は人生の財産になるということを。

取り繕うのが嫌いだった私は、自分の見せ方に、生き方にことごとく失敗してきたんだって、今ならわかる。
正直に生きることと、社会に適合するよう生きやすく振る舞うことは全く別だ。
今ならわかる。わかってるつもりだった。けど結局わかってなかった。長年の自分の価値観は変えられない。私は又しても同じ過ちを犯してしまったのだ。
どうしても人によく思われようと取り繕う自分に嫌悪感を感じる。複雑な家庭で育ったが、姉はそのいっさいを旦那には話してないと言う。私は繕わずに夫には話した。貧乏だったこと、借金取りに追われて引っ越しばかりだったこと、両親離婚のこと、駄目男と言える全ての要素を持つ父親のこと、精神病の兄のこと、まだ実家のローンが残ってること、姉が大嫌いだって軽蔑してること、学費を自分ではらってきたこと、などなど。

けど話す必要はなかったのかもしれない。世界は偏見に満ちている。そんな育ちだから、とか、色々言われるだけだ。子供のこともそう。そして正直にドロドロした胸の内を話す時の表情はきっと見るに耐えない醜いものだっただろう。


ここに書いたのは、改めての決意。
自分を良く見せよう。努力しよう。がんばろう。それは悪いことじゃない。自分に正直に生きることと、生きやすくすることは全く違うのだ。もしもそんな自分さえも理解してもらいたい、受け入れてもらいたい、という甘えがあるのなら一切捨てること。そんな幻想、自分の親にしか通用しないのだから。

そして今は思う。姉の社交性は我ら家族には必要なものだったと。
下は上を反面教師にしたが、もしかしたら上は上なりに、下に足りないものを上としての責任感から補おうとしてたのかもしれない。

育児が炙り出す自分の未熟さ

女友達が娘さんとの毎日をSNSに綴っている。
どんなにぐずられても、ぐずり終わるのを待ち、その後に優しく理由を問いかけたのだそうだ。

それを見て驚いた。私だったら、最初こそ一生懸命その原因を突き止めようとあれやこれやと提示してみるけれど、それでもわからないとなったら「もう!なんでなの?わかんない!勝手に泣いてなさい!」とキレて放置し、どんなにギャン泣いても無視。そして泣き終わりそうな頃には私の頭も少しは冷えてきたので、牛乳でも持っていって(とりあえず)抱きしめてみる。心の中ではイライライライラを抱えて、蹴り飛ばしたいのをぐっとこらえている。そしてアニメでも見せて気分転換をさせ、なんとなく解決させるのがパターンだ。息子からしたら、向き合ってくれてたと思ったらキレて、どっか行っちゃったと思ったら抱きしめてくれるという、なんとも情緒不安定な母親に見えることだろう。

 

長男と向き合ってる私はきっと、般若のような顔をしてると思う。
眉間にシワを寄せ、怒りと冷淡さを凝縮したような顔で煩わしいものでも見るような目をしてるだろう。

 

そんな私を見て、夫はどう思ってるんだろう?

心の狭い余裕のない女だと呆れてるだろうか。
こんなにヒステリックな女だったのかと驚いてるだろうか。
いずれにせよ、出産する前までは見たことない醜い私がそこにいるだろう。

いつもサラッとした空気を纏う朗らかなSNSの女友達はきっと、あの彼女のまま育児をしてるような気がする。

私はもっと、自分は人間的に成熟している人間だと思っていた。感情の波がほとんど無かったし、ほんとに怒ったことって記憶にないし、人に嫌なことされても、まぁいいか、人間なんだしみんな完璧じゃないよねって許せたし、感情に振り回されず建設的な会話ができたし、実際夫にも、そんな人間だと思われていた。

だけど息子が生まれてそれは一変した。息子と向き合ってると、見たことない自分がどんどん出てきて、未熟な自分をまざまざと実感させられる。なんて感情的で、自分勝手で、ヒステリックで、短気で、余裕のない人間なんだろう、私は。

良い妻とはきっと、家事や育児をしっかりやるだけではなく、きちんと深く子供達を愛している人だろう。
それでいえば、私は落第者だ。

 

夫はプロポーズの時、よくまだ残っていてくれたね、君のような人が。僕はラッキーだよ。と言ってくれた。
だけど私は残っていて当たり前の人間で、むしろラッキーなのは夫のような人と結婚できた私の方だった。

私が子供達を深く愛せて、どんなイヤイヤにもにこやかに、またはちょっと困ったな、くらいで対応できて、思慮深く正しく子供達を導ける母親だったら、どんなによかったか。

女友達のそのSNSを見て、夫はハズレくじを引いてしまったんだな、と申し訳なくなった。

それまではいつでもあんなに冷静でいられた私が、どうして息子に対してだけはそうじゃないのか、これが本当の私なのか。

仕事とは人間の利己的な面を露わにすると思っているが、育児は人間の隠れた未熟ささえも炙り出し露わにするものなのかもしれない。

やっぱり、他人に子供を愛せないなんて告白しちゃいけない

今でも思い出す。
「私、子供があんまり可愛いと思えないんだよね。育児向いてないわ」と言った時の、同僚の顔。空気。

彼女は仕事で一緒になったばかりであまり親しいわけでもなく、結婚していて子供が欲しいと望んでいる30歳くらいの子だった。

私は自分に嘘をつきたくなくて、でもそれを赤裸々に話すことは鬼畜扱いされることもわかってるので、ひどいことでも吐き出せる場としてブログを書きはじめた。

それでも可愛くないものを可愛いって嘘がつけなくて、表面上の予定調和な会話も好まなかったし、あまり深刻でないようにぽろっと、「それがさぁ、あんまり可愛いって思えないんだよねー、私育児向いてないみたい!(笑)」って話したりする。そう言うこともあるよねって思うから。

けど今ではわかる。
もう育休に入り、彼女とは一切の連絡を取ってないけど、きっと今頃子供を愛せない私を非情な人間だと社内で噂してることだろう。

子供が愛せないなんて、よほどの親友でない限り言っちゃいけない、というか、言っても良いことなんて何もないんだ。みんな想定外の返事すぎて反応に困るし、この人おかしいのかもって思うだろうから。実際に私でさえ、自分は何か欠陥があるのではと思ったくらいだし。いや多分実際に利己的で合理主義な冷酷人間であることは間違いないんだろうけど。

でもあの時の私は、それが本当に悩みだったから、小出しにして受け入れられたかったのかもしれない。相談に乗って欲しかったのかもしれない。けどそんなの、何も心が通い合ってないしかも子を望む赤の他人に言うべきじゃなかった。

けど一方で、独身でもう子供は無理そうな年齢に差しかかろうとしてる友人に話したときの反応は逆だった。彼女は私の話を納得し、だよね、だったら養子でもいいよねって、自分の考えの裏付けをとれたように嬉しそうに頷いていた。彼女は結婚は諦めてないけど出産は諦めていて、養子を貰えばいいと考えているようだったけど、女友達からはことごとく否定されていたようだった。

私は上の子を産んで、愛情と血の繋がりは関係ないと知った。
一緒に過ごす時間こそが愛情を育むのであり、そしてそれでも子供との相性があること。
だからかつての養子に批判的だった考えは無くなった。
むしろ、養子斡旋の団体でも立ち上げようかと思ったくらいだ。養子を愛せないと悩んでる人に、それはみんな母親なら感じる育児の大変さです。血の繋がりは関係ありませんと力説できると思った。ニュースで逮捕されていく姿を見せる母親の心情も考えるようになり、母親なのにひどいとむやみに批判しなくなった。そうやって世の中のマイノリティな存在をマジョリティと一緒に批判する事柄が一つ減ったわけだ。

 

だから良かったのか?
でもやはりそうは思わない。
やはり、子供を愛せるということは、幸せなことだと思うからだ。
とはいえこんな自分でしかいられないのだから、そのことを受け入れ、葛藤するしかないと思う。
そしてそれは自分の心のうちに留めること。

人によく思われようと取り繕う人間が嫌いだったけど、かといって、正直に自分の黒いところを見せてきて得したことなんてない。やはり、もう少し取り繕って生きるべきだったなと思う今日この頃なのです。気付くのはもう何もかも遅いけど。

弱かったりずるかったりダメだったりする自分も受け入れて欲しい、受け入れてもらえるんじゃないかって、きっとどこかで期待してたんだろうね。でもそんなの幻想。他人は他人でしかない。そんなことわかってるはずだったのに、気を抜けばまた、この人ならって期待してしまう自分がいる。何度絶望しても、何度肩透かしを食らっても、どうして受け入れられることを夢見てしまうんだろう。ばかだなぁ。

兄弟比較は意識しないとやめられないトラップ

一人目が生まれた時、何もかもが新発見で、今日メリーを目で追っただとか、最近ベビーバスを掴むようになったとか、ちょっとした変化が毎日の夫との会話だった。

二人目が生まれると、目新しい毎日の発見は「一人目との違い」になる。長男はほんと寝なかったけど、次男は一人で寝れて助かったとか、目に泡が入ると長男は泣き叫んでたのに次男は泣かないねぇ、次男の方が肝が座ってるのかな?とか、長男はあんまり笑わなかったけど、次男は反応がいいから人たらしになるかなーとか。

どっちかを非難してるわけじゃなくて、子供を二人しか育てたことのない夫婦にとって、単に両者の違いが発見でありその日のトピックスってだけである。違った点だけだと会話が終わるしつまらないから、さらに将来の性格予想も上乗せしてるだけなんである。今日の出来事から未来に想いを馳せて会話を楽しんでるだけなのである。

そう、私たちからしたら、それだけのこと。

だけど、子供たちが言葉の意味を理解しはじめた時、そんなたわいない夫婦の会話はきっと「兄弟と比較されてる」「優劣をつけられてる」と感じるだろう。

実際、夫婦の共通の会話の多くを占めるのは子供の話である。悪意がある発言は、言葉が喉を通った時にざらっとした感覚を伴い嫌でも意識することになるが、これは単なる夫婦共通の会話なだけだから全く悪気がないだけに、気付かずに息を吐くように発言し、夫婦が知らないところで子供達を毎日少しずつじんわりと傷つけることになる。

よく男友達が、兄と比べられて辛かったから仲が悪い、とか、反発して引きこもったとか、そういう話を聞くたびに、その親はアホだなーなんでそんなことしちゃうかな、そんなことしたらねじ曲がるに決まってるじゃん、と思ってたけど、そこにはこういうカラクリがあったのか、と我がことになって初めて気付く。

今はまだ長男は2歳だから理解してないかもしれないし、少しは感じてるかもしれない。けど今日もそんな話を夫としてしまった。それは二人の成長や性格の違いを夫と共有し成長を喜び合い育児を楽しんでるだけなんだけど、そこにこんな落とし穴があったとは。

比較されて健やかに育つ子はいない。
誰だって、大人だって比較なんてされたくない。
それがまだ自我も確立してないあやふやな輪郭しか持たない子供が、最も信頼する両親から比較のシャワーを浴びせられたら、撥ね付ける鎧さえまだなくダイレクトに心を傷つけるだろう。それが異性ならまだ性差というだけで終わるかもしれない。だって男と女は違うものでそれは自分のせいじゃない、と思える。だけど同性の兄弟姉妹はその逃げ道がない。

もしかしたら会話の多い夫婦ほど陥りやすいこのトラップは、意識しないとやめられない深刻な問題かもしれない。

 

長男が叩くようになった

今週、二回、こんなことがあった。

長男はこだわりが強く多分独占欲も強い。だから、こっちは悪気なくおもちゃを手に取っただけで怒ったりする。その時にいつもはぐずりながら、らめぇ〜!と大泣きするんだけど、夫のことを叩いたのだ。

夫は手を取り優しくダメだと教える。

けど私は自分の行いを振り返る。
息子を叩いたことがあっただろうか?
食べ物を投げた時にその手を叩いたことはある。
それはいつだっけ?
それを覚えていて学んでしまったのか?

育児は子供に有形無形の何かを一方通行で与える作業なだけじゃない。それは良いことも悪いことも形を変えて自分に返ってくる。その時はストレス発散になるかもしれないけど、確実に息子の中に残り、蓄積し、いつか表面化する。そして私は後悔するのだ。そのことを改めて感じさせられた。

私が息子にしたことを息子は友達にするし、私が次男にしたことを息子も次男にする。そして私にもするようになる。またイライラする時が来たら、このことを思い出そうと思う